アロマテラピーの歴史:近世から近代~香料産業の誕生
アロマテラピーには、美しい香りが持つ力や癒しの効果について多くの人々が関心を寄せていますが、その背後には古来より続く長い歴史があります。この記事では、近世から近代にかけての香料産業の誕生と近代科学の発展について詳しく探ります。まず、文化運動や大航海時代における植物の専門家の働きに焦点を当て、ハーバリストやプラントハンターたちがどのように新しい植物を発見し、分類法を確立していったのかを紹介します。また、香料産業がどのように進化したのか、オーデコロンやフランスのグラース地方での製造の歴史、さらには合成香料の登場によって何が変わったのかを解説します。この歴史を理解することで、香りのもたらす影響や、現代におけるアロマテラピーの意味がよりクリアになることでしょう。
ヨーロッパ:植物の専門家が活躍
ヨーロッパにおける植物研究の発展は、近世の文化運動や大航海時代の影響を受けて大きく変わりました。この時期には、多くの植物の専門家がその知識と技術を駆使して、植物の収集や分類、研究に取り組んでいたのです。この章では、近世ヨーロッパを中心に、植物の専門家たちの活躍を探ります。
近世ヨーロッパの文化運動と大航海時代
14世紀のイタリアから、ヨーロッパ各地に広まったルネサンスは、古代ギリシャ・ローマの古典文化復興を目指す文化運動です。ルネサンスは「再生」や「復興」を意味します。ヨーロッパでは、ルネサンス芸術が花開くとともに、香料への関心も高まりました。また、中国伝来の火薬や羅針盤、活版印刷を改良・実用化する中で、印刷技術が発展し、薬用植物の書物が盛んに出版されました。
羅針盤の登場によって遠洋航海が可能になると、新たな領土獲得を目的とした大航海時代が始まります。その航海には、当時の食生活に不可欠だった、香辛料(スパイス)の交易ルートを開拓するという目的もありました。15世紀の地中海における交易はオスマン帝国に支配され、香辛料にも高い関税がかけられたのです。こうしてアメリカ・アフリカ大陸への海外進出が進み、カカオやバニラ、チリなどの新植物がヨーロッパにもたらされました。
近世イギリスのハーバリストたち
薬用植物の書物の普及から、主にイギリスで、植物の収集や観察を専門とするハーバリストと呼ばれる薬草学の専門家が現れます。彼らは園芸や薬用植物の知識を持ち、植物の生育環境や特性を詳細に記録しました。『The Herball(本草書)』の著者ジョン・ジェラード(1545~1612)や、ジョン・パーキンソン(1567~1650)、『The English Physician』の著者で占星術と薬草をつなげたニコラス・カルペッパー(1616~1654)などがいます。薬草は月や太陽、惑星に支配されると彼は論じました。また、この当時には「治療をする部位には、その部位と似た形の植物が有効」という考え方も流行したといいます。
ハーバリストたちの活動によって、植物に関する知識は増え続け、その後の学問的な研究や分類作業の基盤が築かれていったのです。
プラントハンターが持ち帰った植物
大航海時代が始まると、プラントハンターと呼ばれる植物学者が航海に同行し、未知の大陸の植物が本国に紹介されました。18世紀、イギリスの有名なプラントハンター、ジョセフ・バンクスは、オーストラリア大陸を探検したジェームス・クック船長のエンデバー号に乗り、太平洋地域に自生する植物を集め、ユーカリやミモザなどを持ち帰って、ヨーロッパに紹介しました。
植物の分類法
植物には、学名という世界共通の名称が存在しますが、属名と種小名から成るその分類体系を作ったのが、スウェーデンのカール・フォン・リンネ(1707~1778)です。「二名法」と呼ばれるこの分類法によって、科学的に特定の植物が分類され、1つの植物に対して複数の名称が混在する問題が解消しました。これにより植物を個別に特定しやすくなり、研究者間でのコミュニケーションが円滑になったのです。
このように、近世ヨーロッパの文化運動と大航海時代がもたらした影響は、ハーバリストやプラントハンターの活動を通じて、植物に関する知識や理解を深め、現代の植物学へとつながる分野発展の基礎を築きました。
ヨーロッパ:香料産業が発展
ヨーロッパでは、16世紀頃から香料として植物から精油を抽出し始めます。王侯貴族の間で競って香りが使われるようになり、芳香目的だけでなく、治療薬としても使われたようです。その後、香料文化はイタリアからフランスの社交界に伝わり、ルイ14世(1638~1715)の時代には、好みの香料を調合させる専属の調香師を雇ったり、身に付ける人の名前で呼ばれたりと白熱。ビターオレンジの花の香り「ネロリ」は、イタリア・ネロリ公の妃が愛用したことから、その名で呼ばれていたようです。
「オーデコロン」という芳香水
17世紀末、ドイツのケルンに移住したイタリア人のジョヴァンニ・パオロ・フェミニスは、当時イタリアで流行していた芳香水「アクアミラビリス(すばらしい水)」をケルンで販売。主要原料には、上質のアルコールとベルガモットなどの精油が使われていました。その後、同じくイタリア人のジョヴァンニ・マリア・ファリーナに製造が受け継がれ、さらに人気を博します。治療薬ではなく、芳香そのものを楽しむこの香水は、製造地にちなみ「ケルンの水」と呼ばれて人気を広げました。その後ケルンを占領したナポレオン1世も愛用者のひとりとして知られています。
現在、一般名称として親しまれている「オーデコロン」は「Eau de Cologne(ケルンの水)」に由来しています。
グラース地方
グラース地方はフランス南部に位置し、香料産業が盛んで、現在も香水の都として世界的に有名な地域です。
中世の時代、十字軍遠征から戻った騎士たちの間では、イスラム兵士が使っていた、賦香革手袋(香り付きの手袋)が流行しました。香り付きの手袋は社交界にも広まり、やがて革手袋製造の中心地であった、グラース地方にも波及。賦香革手袋が生産されるようになりました。温暖な気候で、周囲に芳香植物があふれるグラースは、香料の生産にも適していました。その後、香料産業が盛んとなり、手袋製造から分離。グラースは「香水の都」と呼ばれ、世界的な香料産業の地として知られるようになります。今日では、グラースは香水文化の象徴とされており、世界中から訪れる観光客がその魅力を味わうことができます。
合成香料の登場
19世紀になると、さらに科学と技術が発展し、薬用植物から次々と有効成分が分離精製されるようになりました。そして、石油と石炭などの鉱物原料からも同様の成分が合成できるようになりました。つまり、植物からではなく、化学工業的に、いろいろな作用や効果のある薬や合成香料が作り出せるようになりました。
まとめ
ヨーロッパは長い歴史を持つ香料産業の中心地として知られ、その発展は近代科学の進歩と密接に関連しています。特に、16世紀から18世紀にかけての大航海時代は、香料や植物に対する関心が高まり、新しい香りやフレーバーがヨーロッパにもたらされる重要な時期でした。この時期、貴族や商人たちの間で香料の需要が急増し、様々な植物が新たに発見され、分類されました。その結果、植物の専門家やハーバリストたちは、香料の起源やその化学成分に関する研究を進めていきました。また、ルネサンス(文芸復興)が花開いた近世のヨーロッパでは、薬用植物や香料への関心が高まりました。そして、印刷技術の発明により書物が普及し、薬草学も一層発展を遂げます。
近代科学との結びつき
香料産業の発展に伴い、近代科学も大きな役割を果たしてきました。特に19世紀に入ると、化学の進歩により、香料の合成が可能になるなど、植物に依存しない製品が登場しました。これにより、多様な香料が低コストで手に入るようになり、消費者の選択肢も広がりました。さらには、植物の成分を化学的に分析する手法が確立され、香料の品質や効果についての理解が一層深まりました。このような科学的アプローチは、香料業界の発展を加速させました。
このように、ヨーロッパで発展した香料産業は、歴史的、文化的な背景と科学的な進歩によって、今なお成長を続けています。香料は単なる嗅覚の楽しみを超え、科学と芸術が融合した製品として、我々の日常生活に溶け込んでいます。これからも香料が持つ新たな可能性を探求し、その魅力を発見していくことが期待されます。
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