アロマテラピーの歴史:古代~香りが医療へと発展
アロマテラピーには深い歴史があり、その発展は古代の文化に密接に結びついています。古代エジプトでは宗教儀式などで香りが重用され、古代ギリシャでは医学や植物学において芳香植物が用いられました。古代ローマでは、医学、薬学として香りが発展し、暮らしに取り入れられていきます。インドの伝統医学アーユルヴェーダも、植物活用の教えを伝えています。
目次
古代エジプト:香りを神事やミイラ作りに利用
香りの神聖な意味
古代エジプトでは、香りは神々に捧げる神聖なものでした。神殿では芳しい煙(香煙)が焚かれ、乳香(フランキンセンス)や没薬(ミルラ)などの樹脂が、香りを焚く薫香として用いられました。香料や香水を表すperfumeという言葉も、実はラテン語のper(通して)とfumum(煙)が語源です。「煙を通して」といった意味があります。
なお、乳香や没薬は黄金などと同様にエジプトでは産出されず、周辺諸国との交易から得る貴重なもので、特に焚香料のキフィは上等とされ、神事や王の葬儀などの宗教儀式にも用いられたといわれています。
ミイラ作りと香料の利用
また、香りは亡くなった人々への敬意を表すためのミイラ作りにおいても重要な役割を果たしていました。古代エジプト人は、死後の世界と魂のよみがえりを信じて、ミイラを作りました。ミイラの語源は没薬(ミルラ)からきているという説があります。ミイラ作りでは遺体から内臓を取り出したあと、没薬を使った香油で清めて殺菌し、ほかの樹脂や芳香植物とともに防腐剤として体の中に納められました。
古代ギリシャ:医学の礎が築かれる
古代ギリシャでも香りは大変好まれました。詩人たちによって歌われたのは、神々が香りを愛で、恋人たちは香りのよい花を愛する人に贈ったという内容です。古代ギリシャ時代は、医学、哲学の学問が花開いた重要な時代として知られ、植物が薬や医療に用いられるようになりました。植物の香りは燻蒸(芳香植物を火で焚き、その煙でいぶす治療法)に用いられました。ここでは、紀元前5~3世紀にかけて活躍した有名な2人の賢者を紹介しましょう。
ヒポクラテス
紀元前400年代、医学者ヒポクラテスは、医療をそれまでの神官などによる呪術的な手法から切り離し、症状の観察や医師の経験を重視。病気を科学的に捉え、現代にも通ずる医学の礎を築きました。彼は「医学の父」と呼ばれ、その考えは著作『ヒポクラテス全集』よりうかがい知ることができます。芳香植物を生のまま、もしくは乾燥させたものを焚いて燻蒸することが、治療法のひとつとして用いられました。
テオフラストス
哲学者テオフラストスは、植物学や自然哲学の分野での偉大な業績が評価されています。彼は、植物を科学的に分類することを試み、著書『植物誌』に500種以上の芳香植物の特性や利用法を記載。香料として使われた植物と、香料の調合や製造、使用方法についても触れています。当時の香料は、芳香植物をすりつぶして粉末にしたもの、ワインやオリーブ油などに漬け込んで香りを移したものが中心でした。彼は「植物学の祖」と呼ばれています。
古代ローマ:暮らしの中に香油が浸透
古代ギリシャの医学、薬学は、古代ローマ帝国に受け継がれ、さらに成熟していきます。そして、人々の暮らしの中では香りが息づいていきます。
ディオスコリデス
医学者ディオスコリデスは、皇帝ネロの軍医として各地へ遠征しました。その際自ら観察して得た知識を書物『マテリア・メディカ(植物誌)』にまとめました。600種もの薬用植物の生育地や薬としての効能、調合方法、使用法などが記されています。その後千数百年もの間、植物薬学の重要な古典として広く利用され、写本されながら後世に受け継がれました。512年ごろに製本されたといわれる『ウィーン写本』が有名です。これには約400枚の植物彩画も添えられていました。
プリニウス
古代ローマの軍人であり博物学者のプリニウスは、77年に全37巻の大作『博物誌』を著しました。自然の生態について当時の知識を網羅する百科全書のような本で、植物や植物薬剤に関しても幅広く記述されています。
ガレノス
ヒポクラテス医学を基礎とし、体系的な学問としての医学を確立したのがギリシャ人医学者のガレノスです。コールドクリームをはじめ、植物や自然素材を用いた製剤処方は「ガレノス製剤」と呼ばれ、現在も受け継がれています。彼の偉大さはヒポクラテスに次ぐとされ、医学の権威としてヨーロッパで崇められ、アラビア医学にも影響を与えました。
テルマエ(公衆浴場)
古代ローマの各都市には、テルマエ(Thermae)と呼ばれる公衆浴場が建設されます。ここでマッサージやあかすりを行う際には、香り高い香油が使われました。また、プールやサウナ、球技場や図書館が併設されるなど、テルマエは人々の社交の場でもありました。
さらに、宴会や儀式などさまざまな場面で香りの演出が行われ、ローマ人は特にローズを熱狂的に好んだとされます。ローズの酒を飲んだり、ローズの香油を身体に塗ったり、まtローズの香りを移した水を噴水にしたりしていました。
古代中国:薬草の研究書が編纂される
古代中国において、薬草や医療に関する研究が進められ、その成果が集約された書籍が多く編纂されました。薬草の研究をもとに生まれた本草学はのちに中医学へと発展していきます。
『神農本草経』の成り立ち
中国では、薬草の研究が古くから行われていました。薬物について書かれた本を「本草書」といい、最古のものは2~3世紀の漢の時代にまとめられています。最も有名なものは『神農本草経』です。西洋の『マテリア・メディカ』と並び称される薬草学書です。「神農」とは、もともとは中国の神話にある農業神のことで、医療と農耕の知識を人々に広めたとして伝えられています。
古代中国の薬草研究が現代に与えた影響
この『神農本草経』が陶弘景によって再編纂されたのが『神農本草経集注』です。合計730種の薬品が記されています。
本草学は、のちに世界三大伝統医学の1つである中医学に発展していきます。
古代インド:最古の医学アーユルヴェーダの誕生
今から約3,000年以上前、古代インドにおいて、アーユルヴェーダが誕生したといわれています。アーユルヴェーダとは、Ayus(生命)とVeda(知識)を組み合わせた造語。医学だけではなく、宇宙観・自然観を説く哲学でもあり、植物の活用など具体的な生活方法の教えも含みます。現在もインド、スリランカを中心に受け継がれている伝統療法として広く知られています。世界三大伝統医学の1つです。
まとめ
古代において香りは、古代エジプトの神に捧げる香りから、ギリシャやローマにおいて医療へと発展してきました。
古代エジプトでは、香りが神事やミイラ作りに重要な役割を果たしていました。古代ギリシャでは、ヒポクラテスやテオフラストスの研究が、医学の礎を築きました。古代ローマでは、香油が日常生活に広く浸透していました。古代中国では、薬草の研究が進み、中医学の基礎が築かれました。古代インドにおいては、アーユルヴェーダが多くの人々の健康を支えるための指針となり、病気の予防や治療に香りが重要な役割を果たしていたのです。
香りは現代においても、多くの人々に好まれており、古代から受け継がれてきた知恵が今なお生き続けています。このように、香りと医学の歴史は、人々の生活に深く根ざしたものとして、今後も重要な役割を果たし続けるでしょう。
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